ついに進撃の巨人が、2021年4月9日発売の別冊少年マガジンに収録される139話で最終回となります。
改めて、4月9日発売の別マガ5月号、よろしくお願いします。
— 「進撃の巨人」担当編集者バック (@ShingekiKyojin) April 5, 2021
クリアファイル付録、ポストカード応募者全員プレゼントについては紙版のみですのでご了承ください。
皆さんと一緒に9日を迎えること、楽しみにしていますね(9日にめっちゃ長い会議を入れてしまってそっちは楽しみじゃないですが)。 pic.twitter.com/Lia8ngPClC
残り一話になっても未だにどういう結末を迎えるのか予想がつきませんが、最後の最後のコマのラフは過去にドキュメンタリー番組で公開されています。
そこで、未だに謎の多いこの「お前は自由だ」というセリフが入ったシーンはどんな意味があるのか予想していきたいと思います。どうせ3日後に分かるのに今更とか言わないで
最新138話までのネタバレ含むのでご了承ください。
※このラストシーンは2018年に放送されたテレビ番組情熱大陸で公開されたもので、実際のラストシーンは変更される可能性もあります
このシーンについて以外にも、光ムカデはどうなるのかとか、巨人化された人たちはどうなんのかとか、ミカサはループしてるのか?頭痛は結局はなんなのか?とか最終回に向けての疑問は尽きないですが今回はこのラストシーンの意味だけに絞って予想していきます。
ネットでもこの親子は誰なのか、本編からどう繋がっていくのかいろんな考察がなされているのを見ますが、まず私の予想を結論から言うとこれはエレンが生まれたときのグリシャとエレンの姿。しかもループとか平行世界とかではなく本編の時間軸の過去の場面だと思います。
まずこの「自由」という言葉、ここまで進撃の巨人を読んできた人なら言うまでもないと思いますがめちゃくちゃ重要な言葉です。
エレンはただひたすら自由を求めて進撃を続け、「他人から自由を奪われるくらいならオレはそいつから自由を奪う」という考えのもと、最終的に壁の外の人類すべてを地鳴らしで踏みつぶすという暴挙に出ます。
なんでエレンはこんなにも不自由感に苛まれているのかというと、「壁に囲まれて育ったから」でも「エルディア人として生まれたから」でも「目の前で母親が食われたから」でも「巨人の力を継承したから」でもなく、本人が言っているように「生まれたときからそうだった」んですよね。
周りの環境がそうさせたわけではないんです。
そのあたりはアニメでもあったレベリオ襲撃直前のライナーとの会話も印象的ですね。
海を渡ってマーレで暮らしたエレンは「ムカつくやつもいるしいい奴もいる。海の外も壁の中も同じなんだ」と気が付き「時代や環境のせいじゃなくて…俺が悪いんだよ。お前の母親が巨人に食われたのは俺のせいだ!!」と言うライナーに対して「やっぱりオレは…お前と同じだ」と答えます。
たぶんエレンは壁の外で生まれてどんな人生を送っていようと不自由に感じてしまう人間なんじゃないかと思います。
この感じ方自体はそんなにおかしなことではなくて実際、日本の中高生の1クラスで「自分は自由だと思いますか?」とアンケートとったらいい感じに割れると思うんですよね。ただエレンは考え方がちょっと極端で実際に世界を滅ぼしてしまえる力をたまたま持ってたってだけで
そして地鳴らしを敢行したエレンが自由になれたのかと言うと、とてもそうは思えません。鳥籠に似た始祖の巨人の姿も皮肉がきいてますよね。
じゃあどうしたらエレンは自由になれたのかって言うと、「そもそも最初からエレンは自由だったけどそれに気が付かなかった」ってのが私の考えです。
グリシャはジークをエルディア復権派の駒のように育ててしまったことを後悔していて、その反省からエレンには自由に育って欲しいと願っていたのだと思います。記憶を見たジークもグリシャの父親としてのエレンへの接し方の自分との違いに驚いていましたね。
そしてそのジークは、生きることに意味なんてないと絶望し「エルディアの安楽死計画」を企てていましたがアルミンとの会話で「ずっとキャッチボールをしているだけでよかった」と気が付きます。
アルミンが「三人でかけっこした時」「雨の日家の中で本を読んでる時」「リスがあげた木の実を食べた時」「みんなで市場を歩いた時」に「そのために生まれてきたんじゃないかと思った」ように、
ジークが「キャッチボールをしているだけでも生まれた意味はあった」と気づいたように、
エレンは「自由を求めて進んでいる時」にしか生まれてきた意味を感じられなかったんじゃないでしょうか。グリシャの願いからするとなんとも皮肉なものですが。
でもエレンは絶対にそうなる運命だったのかというと私はそうではないと思っていて、
138話でミカサが見た幻覚(?)の「エレンとミカサが2人で全てを投げ出し逃亡して山の中の小屋で平穏に暮らしているシーン」がエレンが他に生きる意味を見つけ出せた場合のあったかもしれない世界なんだと思います。
しかしアルミンが日常のほんの些細なところでそれを見つけられたように、本当なら簡単に気づくことができるはずのものにエレンが気づけなかった結果が地鳴らしという悲劇だったと。
そして「壁の中も外も一緒」と言うように、「漫画の中も外の現実も一緒」であり今実際に生きていて世の中の不自由さや理不尽さを感じている人も「ほんのちょっと見方を変えれば世界は変わるかもしれない」「人間は生まれたときから自由だ(自由であるべき)」という諫山先生からの読者へのメッセージもあるんじゃないかと思います。
最後ちょっと飛躍した感もありますが私が138話まで進撃の巨人を読んでみて感じたのはそういうとこでしたね。
今の時点だとここからハッピーエンドになる気が全くしませんが、私たちが想像もできないようなミラクルで希望のある終わり方になることを期待しています。
読者へのメッセージとかは言い過ぎかもしれないですが、とりあえず最後のページは「グリシャとエレン」ということで、予想が当たってたら褒めてください。
以上!
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