先日、日本国内で世界中に衝撃を与えた悼ましい事件が起きてしまいました。
事件を起こした容疑者の動機には、家族がとある宗教にのめり込んでしまったことが背景にあるとされています。
報道によると容疑者の実母がその宗教団体に多額の献金をし、その結果破産し家庭崩壊、人生が大きく狂わされたそうです。
その宗教団体についてはネット上でも様々な情報が飛び交っており、本一冊を3000万円で販売するといった俄かには信じられない情報もあり、今回の容疑者の母がお布施した金額は1億円以上にも上るという話です。
正直に言って、私の周りには特定の宗教に入れ込んでいる人がおらず、過去に会ったこともないのでいまいちピンときませんでした。唯一、幼少の頃に会った親戚の一人が「この水の波動が~」とか言っていたのが今思えばそれっぽいですが、何となくやべぇ雰囲気を感じて深く話を聞くことはしませんでした。その程度です。
同じように「宗教に何千万、億という額をつぎ込む感覚が理解できない」という人は多いのではないでしょうか?
しかし私はここで思い出したことがあります。
それは以前に見たとある先輩の話です。
先輩は風俗が大好きで月に一度は通っており、ボーナスが出た際には高級店にも行っていました。
ある日の飲み会でそれに対して上司が「お前は無駄なことにカネ使ってないで少しは貯金しろ」と軽く説教したところ、先輩は「無駄ってなんですか!行ったことないからそんなこと言えるんですよ!」と激昂してしまい、喧嘩になってしまったのです。
上司の指摘は至極真っ当に思えますが、物事の価値と言うのは人それぞれ違うものです。
他人から見れば無駄に見えるものでも、その人にとってはとても大切で意味のあるものだということは往々にしてあるのです。
風俗じゃなくても、お金がかかる趣味のある人は大なり小なり同じような経験をしたことがあるのではないでしょうか?
宗教の場合でも、他人からは理解できなくても信じている人にとっては重要な意味のあることで、多額の献金も精神の充足のために必要なものだったのかもしれません。
個人的には宗教だろうと趣味だろうと、本人が納得して金銭を支払い、それに満足したり救われた気持ちになっているのなら何も問題はないと思います。
しかし今回取沙汰されているような件の場合、本人だけではなく周囲の人間にも深刻な影響を与えてしまっています。
いくら本人が納得していようと、それによって被害を受ける他の人がいるのなら到底許せることではないですよね。
そこでまた考えてみると、「他人には理解できないことにお金を費やして周囲に損害を与えてしまう」事例は何も宗教に限ったことではありません。
つい最近でも大阪バレーボール協会の理事が約2600万円を着服するという事件があり、その用途は主に動画サイトでのスーパーチャット(俗に言う投げ銭)だったそうです。
川合俊一会長が謝罪会見に… “着服”大阪府バレーボール協会理事「スーパーチャットの課金につぎこんだ」
子供が親のクレジットカードを勝手に使用して、ネットゲームに400万円もの課金をしてしまったという事件もあります。
億単位の献金という話に比べるとスケールが小さく感じるかもしれませんが、人の人生を狂わせるには十分な額です。
家族間での信頼関係への影響を考えれば、金額抜きにしても家庭崩壊に繋がる要因になり得るでしょう。
しかし、これらの行為は宗教に比べると気持ちが分かってしまう人もいるのではないでしょうか。
私もたまにですが、ガチャに熱が入ってしまって翌月のクレカの請求に頭を抱えることがあります。(もちろん自分のクレカです)
知識も判断能力もない子供であれば、こうしたことをしでかすのも分からない話ではありません。もし自分に子供がいて、そんなことされたら一生信用できなくなってしまう気がしますが
そして大事なのはこの「知識」と「判断能力」という部分で、これが不足していたり失われてしまう状況に陥ったら大人であっても大きな間違いを犯してしまいます。
今は誰もが様々な情報に容易にアクセスできる時代で、これまでになかった思想やビジネスも急速に増えていきます。
よく分からないものに多額のお金を費やして、家族や大切な人に迷惑をかけたり人生を狂わせてしまう可能性は誰にだってあるのです。
こういったことに対応していくためには、「信頼できる相談相手を持つことが大切」だと言いたいところなのですが、逆にその信頼する相手から変な勧誘を受けてしまうようなケースもあるのでなかなか難しいものです。
一つ言えるのは、お金を使う時にはそれが「自分にとって価値があるかどうか」だけではなく「家族や身近な人の迷惑にはならないか」「未来の自分にとっても価値があるか」を判断基準にしなくてはいけないということですかね。結局難しいんですけど。
とりあえず今回言いたかったのは、自分に関係ないように思える事柄であっても自分の行動を振り返る機会になるということです。
私も反省して、ガチャへの課金は自重して将来の家族のために貯金するようにします(努力目標)。
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